削るべきは睡眠時間ではなく、残業時間

今日は睡眠時間を削るのではなく、残業時間を削るべきという当たり前の事に思い当たったので言語化してみようと思います。元々超がつく程のブラック企業で勤めていた僕は、残業体質が中々抜けません。今でこそ日本の企業も残業を抑制する風潮が出てきたように思いますが、20年前という時代もあったのか、残業が月に150時間なんて月もありました。残業時間がランキング化され、多い方がランキングが高いというありがたい仕組みまでありました。今でも付き合いのある先輩は残業が月200時間でトップを独走している人もいました。残業が美徳とされる古き悪しき価値観がはびこっており、日々仕事に追われていました。今思えば、若いうちに苦労してやるという若気の至りもあり何とかギリギリの状態で乗り切れたのだと思います。

それが徐々に時代が変わり、日本人は働きすぎだ、という所から、ワークライフバランスが叫ばれはじめ、特にコロナ渦以降、残業NGの風潮が出てきている今の時代では、仕事量は変わらない、いや人手不足によりむしろ増えている。にも関わらず残業は減らせ、という一見無理ゲーに見える仕事のやり方を求められます。2025年問題もあり、団塊の世代が引退していき今後更に人手不足が深刻化していく中で、生産性を上げることは必須。日本人は、先進国の中でもダントツに生産性が低いと言われていますよね。これが「生産性を上げる」ということなのであれば、それをしないといけないことは分かります。

ここで僕が感じる違和感が2つあります。

まずは、こんなに勤勉な日本人が何故、それほどダントツに生産性が低くなってしまったのか?という点。

もう1つは、残業を美徳とする価値観から、急に真逆の残業NGの世界への手のひら返しとも言える大変化に対してみんななぜこうも素直に馴染めるのか?という点。

価値観や常識というものはいかに相対的なものかということがよく分かります。楽天の三木谷社長もそのようなことを言われていましたね。

生産性を上げるには、当たり前ですが、労働時間を短くしないといけません。生産性を上げる=残業を減らす、ということは、団塊の世代にとっては受け入れがたい事なんだと思います。結局、団塊の世代が組織のトップでいることが企業が変われない原因で、トップの根本的な考え方が変わらなければ、いくら建て前で残業を減らせ、と言っても急に180度方向転換はできません。当たり前の事です。一旦減速して止まり、そして逆方向に徐々に進んでいくのです。今までは本音と建て前が同居しているような違和感がありましたが、2025年は、一旦立ち止まる年です。これからは考え方が実際に変わっていきます。2025年問題は、そういう意味でも新しい時代のスタートといえるかも知れません。